九州派

Kyushu-Ha

九州派

▪️ 九州派の年表
九州派年譜 ➡️︎ Detail


▪️ 九州派について
1950年代後半から60年代初め(昭和30年代)は、国内外において芸術の変革が叫ばれはじめ、 多種多様な美術が登場し始めた時期にあたります。日本においては、この頃東京だけでなく各地方都市でも様々な前衛美術グループが結成されました。既存の公募団体によって作り上げられた美術システムに不満争抱いた若い美術家たちがグループを結成し、無審査の公募展「読売アンデパンダン展」や屋外など作品展示には向かないような場所や舞台として、「絵画」「彫刻」 の枠には収まりきれないエネルギーあふれる実験的な作品を発表し始めました。東京の「ネオ・ダダ」 、 関西の「具体美術協会」がその代表的なものですが、中でもとりわけ異彩を放っているのが福岡市で結成された「九州派」です。

桜井孝身オチオサムらを中心に結成された「九州派」の特徴は、生活者の視点からの美術表現や人々の生活に根ざした活動姿勢にあると言えます。それは日常の現実の中に美術や引き下ろし、また逆に、 日常の卑俗さなどを一つの美術表現に高めようとする行為、と言い換えられるでしょう。これは、九州派メンバーのほとんどが専門的な美術教育を受けておらず、「画家」であると問時に「生活者(労働者)」 であるという意識を強く持っていたこと、当時福岡県内では三井三池争議に代表される労働組合運動が盛り上がっており、思想的に共鳴する者が九州派内に含まれていたことなどが背景となっていると思われます。

九州派の作家たちは廃材やごみを作品素材として用いましたが、最も特徴的なものがアスフアルトです。印刷会社勤務のオチオサムが印刷工程で見出し、九州派のほぼ全員が利用しました。都市化の進み始めた福岡市内で入手しやすかったアスフアルトは、安価で、しかも独特の光沢争もち乾燥も早かったためです。また光沢のある黒という色が、日本の近代化を支えた三池の石炭と労働者のエネルギーを連想させたため、この素材は九州派のトレードマークとなりました。 結成当初は、東京での頻繁な展覧会活動によるその存在のアピール、そしてアンデパンダン展の組織などによる地元美術界の再編を試みました。しかし「前衛」に対する意識の違いから 1959年末に大分裂。桜井により再建されるも、彼らが思想的根拠争置いていた三井三池労働争議が 1960年に組合側の敗北に終わるという時代背景の変化とともに、九州派自身も活動のエネルギーや失い、1968年のグループ展参加を最後にその活動に幕を下ろしました。

作品の保存よりもまずその効果やアピール度を重要視した作品が多く、作品の形やともなわない活動形態も数多くあったため、作品として現存するものは極めて少なく、九州派は長い間伝説のベールに包まれたままでした。1988年、福岡市美術館における「九州派援一反芸術プロジェクト」 の開催で、その全容が明らかとなりました。
(戦後の福岡で産声を上げた、奇跡の前衛美術集団「九州派大全」より)抜粋)


■ 有識者たちのコメントから
【九州派顛末記 針生一郎
戦後日本で派生しためぼしいグループの中でも「九州派」ほど、深い地層から熱いマグマが噴出するようなエネルギーを感じさせるグループはなかった。

【百花斉放・六十年代初期 刀根康尚
「具体」と「九州派」については、アンフォルメル旋風から読売アンデパンダンの末期にいたる美術運動のなかで、この地方の美術家集団が美術におけるもっとも尖鋭な部分を担ったことは、近代美術史の上で今まで例をみなかった。

【美術手帖 1971年10月号】
組織論、運動論を模索し、表現を生活世界の内側からとらえ、表現者の思想と美術家の自立を問題とした数少ない集団である.

【駆け抜けた前衛4 西日本新聞より抜粋 田代俊一郎】
無頼と非インテリを偽装する九州派は、実は大変な勉強家であったのだ。
現代美術、騒乱の社会、実存主義…。戦争の抑圧から解放された芸術、政治、思想といった多様な流れがクロスする時代の交差点から九州派は生まれた。

【駆け抜けた前衛5 西日本新聞より抜粋 田代俊一郎】
九州派は最初、抽象表現主義のアンフォルメル、アクション・ペインティングといった欧米の現代美術を借り衣装にした。しかし、単なる模倣だけでなく、独自な自己表現を、そういった素材面から追求索していたことがわかる。さらに「芸術はゴミだ」とパロディー化し、日常の道具、生活周辺の素材を使うことで、大衆には手の届かない高尚で高踏的と思われていた 芸術を、生活者レベルに引きずり下ろす「生活者の思想」の一つの具現化でもあった。


博多阪急 2020年9月 異彩を放つ九州派〜それから〜 VR映像にてご覧いただけます。→➡️︎ Detail VR


■ 最近の活動について
▼ クラウドファンディング
Jul 2022 : 桜井孝身の哲学から「奇跡の前衛美術集団 九州派」を読み解く作品集制作プロジェクト ➡️︎ Detail


▼ 最近の展覧会開催
Apr 2019 : 「九州派」展 ギャラリーモリタ ➡️︎ Detail
Oct 2020 : 「異彩を放つ九州派〜それから〜」 博多阪急 ➡️︎ Detail
Nov 2020 : 「異彩を放つ九州派 ―そして」 なかお画廊 ➡️︎ Detail
Dec 2020 : 「九州派 / 東京地方 突如来演 2020」 画廊香月 ➡️︎ Detail
Sep 2021 : 「異彩を放つ九州派〜それから〜2021」 博多阪急 ➡️︎ Detail #1 ➡️︎ Detail #2
Dec 2021 : 「九州派 / 東京地方 突如来演 2021+その系譜を引き継ぐ者たち 」 画廊香月 ➡️︎ Detail
Apr 2019 : 「九州派」展 ギャラリーモリタ ➡️︎ Detail
Jun 2022 : 「桜井孝身がつくった「九州派」、その系譜を受け継ぐ者たち」ギャラリーモリタ ➡️︎ Detail
Sep 2022 : AFAF2023 Gallery MORYTA + Gallery Kazukiブースにて特別展示 ➡️︎ Detail
Aug 2024 : ART FORMOSAにて特別展示 ➡️︎ Detail
Jan 2024 : 京都市京セラ美術館別館にて特別展示 ➡️︎ Detail


▼ 最近の関連記事掲載
Oct.2020 : 西日本新聞 ARTNE : アートが占う九州の未来 博多阪急で「九州派」展と「Kyushu New Art」 ➡️︎ Detail
Oct.2020 : 月刊ギャラリー 美の散策#1 市原尚士 ➡️︎ Detail
Dec.2020 : 美術手帖掲載: 九州派 / 東京地方 突如来演 2020 ➡️︎ Detail
Dec.2020 : 美術手帖掲載: 東京中心のアート界の構造に挑む 山本浩貴評「九州派/東京地方 突如来演 2020」 ➡️︎ Detail


▼ 最近のweb掲載
Oct.2020 : 森の空想ブログ 「異彩を放つ九州派―それから」展①・会場風景/アートが占う九州の未来:博多阪急にて「九州派」と現代美術作家の競演[風・アート・旅の空<3>] ➡️︎ Detail
Oct.2020 : 令和に蘇る「九州派」tolk-jamhart-japlog ➡️︎ Detail
Nov 2020 : 「九州派」を知っていますか? MOMO BLOG ➡️︎ Detail


▼ 最近の講演会
Nov 2020 : 「反芸術と九州派について」林田龍太熊本県立美術館学芸員 2020.11.7 蔦屋書店熊本三年坂 ➡️︎ Detail 熊日新聞 ➡️︎ Detail


▼ 最近の来訪者
Oct.2020 : 2022 イギリスのポスドク研究者 Edward 氏研究来日  ➡️︎ Detail


■ 掲載関係
西日本新聞 18Th.Aug.1981 度肝抜いた前衛芸術「九州派」悔いなき熱狂の日々  ➡️︎ Detail
フクニチ新聞 29th. Sep.1976「 汎 世界的空間」の創造を ➡️︎ Detail
○ 九州派の英雄たち ➡️︎ Detail #1 ➡️︎ Detail #2 ➡️︎ Detail #3 ➡️︎ Detail #4 ➡️︎ Detail #5 ➡️︎ Detail #6 ➡️︎ Detail #7
○ 美術手帖百花斉放・60年代初期 1971.10 からの抜粋 刀根康尚 ➡️︎ Detail
○ 西日本新聞 文化欄 前衛たちの軌跡 九州派から四半世紀 1988年 #桜井孝身#石橋泰幸#宮崎準之助#小幡英資&大黒愛子


■ Text
九州派  ➡️︎ Detail
九州派 作家のことば ➡️︎ Detail


■ 桜井孝身
桜井孝身 : 九州派の紹介 ➡️︎ Detail
桜井孝身 : 九州派は前進する ➡️︎ Detail
桜井孝身 : 九州芸術を世界に ➡️︎ Detail
桜井孝身 : 世界画壇をとる- 回路からの報告書 風濤 no.1 (風濤書房/1976年) ➡️︎ Detail
桜井孝身 : 「英雄たちの大集会レポート」 ➡️︎ Detail #I ➡️︎ Detail #II ➡️︎ Detail #III ➡️︎ Detail #IV ➡️︎ Detail #V ➡️︎ Detail #VI ➡️︎ Detail #VII ➡️︎ Detail #VIII ➡️︎ Detail #IX ➡️︎ Detail #X
桜井孝身 : 「英雄たちの大集会」の提案 ➡️︎ Detail 序文 ➡️︎ Detail #1 ➡️︎ Detail #2
桜井孝身 : 「英雄たちの大集会」=ニューヨーク=命令する芸術への九州派会合通知提案 ➡️︎ Detail #1 ➡️︎ Detail #2
桜井孝身 : 「命令する芸術 英雄たちの大集会― ニューヨークについて」 ➡️︎ Detail #1 ➡️︎ Detail #2 ➡️︎ Detail #3 ➡️︎ Detail #4 ➡️︎ Detail #5 ➡️︎ Detail #6 ➡️︎ Detail #7 ➡️︎ Detail #8 ➡️︎ Detail #9 ➡️︎ Detail #10 ➡️︎ Detail #11
桜井孝身 : 「結論として」 ➡️︎ Detail
桜井孝身 : 生きてることが全て芸術だ ➡️︎ Detail 
桜井孝身 : 1960年前後、激動する時代を背景にアンフォルメル絵画とオブジェを武器として「芸術」と「東京」に総攻撃をかけた驚異の前衛美術集団 九州派展 GROUP KYUSHU HA 反芸術プロジェクトより ➡️︎ Detail

■ 山内重太郎
山内重太郎 : 九州派私記 海図出版  ➡️︎ Detail #1 ➡️︎ Detail #2 ➡️︎ Detail #3 ➡️︎ Detail #4 ➡️︎ Detail #5
山内重太郎 : 九州派覚書 山内重太郎   ➡️︎ Detail #1 ➡️︎ Detail #2 ➡️︎ Detail #3 ➡️︎ Detail #4 ➡️︎ Detail #5
山内重太郎 : 九州派機関誌三号 山内重太郎 ➡️︎ Detail
山内重太郎 : 九州派3人展 トキワ画廊 1958 パンフレットの文章 ➡️︎ Detail
山内重太郎 : アンフォルメル雑感 九州派機関誌 ➡️︎ Detail
山内重太郎 : 「サビツイタ裸女」誕生 九州派機関誌 ➡️︎ Detail

■ その他
針生一郎 九州派顛末記 ➡️︎ Detail
池田龍雄 : 駆け抜けたケンカ神輿 ➡️︎ Detail池田龍雄
田中幸人c亡霊に照明を当ててみると 元毎日新聞記者・元埼玉県立近代美術館長 ➡️︎ Detail
田中幸人 : 「九州派」のこと 田中幸人 1982.11 ➡️︎ Detail
ジャスティン・ジェスティー : 九州派を追いかけて ➡️︎ Detail
阿部成人 : 孝身のパフォーマンス 元フクニチ新聞文化部記者 ➡️︎ Detail 上 ➡️︎ Detail 中 ➡️︎ Detail 下
南嶌 宏 : 「九州派展」南嶌 宏 (元 熊本市現代美術館長) ➡️︎ Detail


■ 九州派機関誌より
機関誌1号
九州派 ➡️︎ Detail 
機関誌7号
未知のエネルギーの処方箋 ➡️︎ Detail


■ Website
▼ 九州派についての解説
美術手帖 ART WIKI 九州派 ➡️︎ Detail 
現代美術史日本篇 Contemporary Art History: Japan ➡️︎ Detail
art scape ➡️︎ Detail
美術手帖 ART WIKI ➡️︎ Detail

▼ 九州派についての記事掲載
ARTNE 再評価をされる九州派・福岡市美術館コレクション展 ➡️︎ Detail
ARTNE 九州派の「その後」知る作品展 福岡市のギャラリーモリタ ➡️︎ Detail
ARTNE 九州派……時代を駆け抜け、なお美術の第一線 田部光子さんトーク ➡️︎ Detail

▼ 九州派についての展覧会情報
福岡市美術館 九州派展 ➡️︎ Detail
Living Well Is the Best Revenge 九州派」展 2016年 01月 17日 ➡️︎ Detail
ART IT 九州派展 @ 福岡市美術館  ➡️︎ Detail
九州派展 戦後の福岡で産声を上げた、奇跡の前衛集団。その歴史を再訪する ➡️︎ Detail
九州派展──戦後の福岡で産声を上げた、奇跡の前衛集団。その歴史を再訪する FUKUZUMI REN ➡️︎ Detail
Internet Museum 九州派展 ➡️︎ Detail
東京文化財研究所 九州派展開催 ➡️︎ Detail
博司のナンコレ美術体験 おすすめ展覧会カタログベスト10 ➡️︎ Detail

▼ 九州派についての学術情報
京都大学学術情報リポジトリ 九州派における交流活動考察 -交流を通した連帯、グループ意識の共感をめぐって- 鄭, 賢娥 ➡️︎ Detail
東京国立近代美術館・京都国立近代美術館 痕跡ー戦後美術における身体と思考
久我記念美術館を育てた山内・尾花作品も ➡️︎ Detail
SEAヒストリー研究会~日本におけるSEAを読み解く 第2回実施報告 ➡️︎ Detail
Korea Citation ➡️︎ Detail


【Radio Japanese】
明治産業 presents「OUR CULTURE, OUR VIEW」
「the ART STATION@博多阪急:異彩を放つ九州派〜それから〜」九州派について ➡️︎ Detail


東方文化支援財団 代表 中野善壽氏の視察・講演 ➡️︎ Detail


■ 九州派 機関誌#1
われわれは、いま、美術運動のスタートに立つたと言って良いであろう。
われわれは、われわれの美術運動に『九州派』という呼称をつけたが、それは、われわれの制作の場を、単に地域的に説明したものに過ぎない。
われわれの、もっとも基本的な態度は、あらゆる既成の観念を排して、最大限に、美術の可能性を探究することである。現代の科学、社会から、民族性、個の問題まで、方法論的 にも、レアリズム、アブストラクト、アン・フォルメールなど、われわれが、美術を通じて対決しなければならない問題はわれわれの周囲に山積している。
われわれ九州派が志向するものは、これらの問題と取り組み、解決をはかりながら、真に ユニークな、われわれの美術を創造することである。


桜井は「具体」の吉原治良のような絶対的なリーダーではなかったし、かれの行動と思想は九州派にとってプラス面だけを提供したものでもないだろう。しかし、この天性の組織家、行動家、教育者であり、社会的・生物学的共同体への飽くなき夢想家であり、攻撃的アジテーションと楽天的ヴィジョンを兼ね備えたこの基台の人物なしには九州派がありえなかったことは確かであろう。
詩人の保野は九州派の名付け親と考えられ、機関紙の初代編集長であり、初期九州派の方向づけに大きな役割を果たした。オチは「60年代前半の質を超えていた表現者」「反モダン・アートという主張をもっともよく具体化している作家」と評され、アスファルトなどの表現手段の実験、徹底した生活者の意識に根ざしたダダ的作品、オブジェへの展開、特異なミニマリズムへの接近などに見られるように、九州派的な作品の実験を先導した最重要メンバーである。組織家桜井と、前衛作家・オチのうち、どちらが欠けても九州派はもっと短命に終わるか、あるいは意義の少ないものになっていただろう。


1957年、九州福岡の地に突如出現した
前衛美術集団「九州派」。

反芸術、反中央、反公募展を掲げ
アスファルトやコールタールを
絵具代わりに使い

ハプニングと呼ばれた表現活動など
斬新で強力な訴求力をもった
ムーブメントを展開していた。

2020年、
当時の若き九州派のアーティストの偉業を
再発見、再認識し、アートの力で
閉塞した現代社会を打破すべく
動き始めます。

また、現代の情報ツールを使い、
九州派と在籍メンバーの
その後のアート活動を
国内外に向けて発信していきます。