田上允克 展 – 太我亜美 –

Masakatsu Tagami Exhibition

1999年9月25日(土) - 10月10日(日)

■ DMテキスト
巨きな納屋のようなアトリエ、そこにはまだ光を浴びたことのない油性の怪物たちが眠っていた。
闇の中で,未知の怪物たちの目が一瞬煌めいたことを、私はいまも忘れない。
1970年代より,未発表作品を中心にもうひとりの「太我亜美」展、開催。
<香月人美>

□ 第1部 オイル/キャンバス・ミクスドメディア/紙
1999年9月25日(土)- 10月10日(日)
□ 第2部 オイル/キャンバス・ミクスドメディア/紙
1999年10月12日(土)- 10月17日(日)

■ 田上允克プロフィール
1944 山口県生まれ
1967 山口大学卒業
1973 東京に出て水彩画を描き始める
1974 油絵、銅版画を始める
1978 銅版画個展(東京シロタ画廊)
1981 油絵個展(東京シロタ画廊)
1982横浜に移住1984現代画廊にて版画展(洲之内徹氏のテキストあり)
1986版画をやめる ニュー墨絵を始める
1990神奈川県秦野に移住 紙にミックスメディアで書き始めて現在にいたる
2000京都に移住2004東京日仏学院で個展
2006山口県に移住

■ レビュー
画廊から(州之内徹)

ワシオさんの書いているとおり、太蛾亜美はタガアミ、すなわち田上である。私がつきあいを始めた頃は、彼が田上君であった。それが突然太蛾亜美になったとき私はあっけにとられたが、彼はただ静かに笑っているだけであった。何事につけても彼は説明ということをしないのだ。自分の仕事についてもそうである。その点もいまの若い人としては変わっている。

つきあいは、もう十年くらいにはなるだろう。いまでも若いのだから、考えてみれば、その頃はうんと若かったわけだが、彼は裸婦のデッサンに夢中になっていた。画用紙は高いからといって、ザラ紙を買って使っていたが、彼の描く数量からいって、それも当然と思われた。画廊が休みでしまっていて、翌日、私が行くと、ドアの前に、縄で縛った何百枚ものデッサンが置いてあったりした。

うまいデッサンで、私はいつも感心したが、感心しながら、私は一種の危惧を感じた。彼はいつも茶色のコンテを使ってザラ紙に描くのだが、コンテにも紙にもなれ過ぎて、仕事がすべってしまうのだ。よどみがなさ過ぎる。仕事が深くなるための引っかかりがない。

かといって、どうすればいいのか、私にも分からないのだったが、彼がエッチングをやり始めたとき、あ、これだなと思った。手間のかかるエッチングの工程がすべり止めになったのかもしれなかった。イメージが画面に食いこんできた。

それにしても、彼のイメージの、この豊富さはどうだろう。ヴァラエティの豊富さだけを言うのではない。内発的なものの豊かさを私は言っているのだ。ガツガツしない。悠々たるものである。だから、得てして類型的になりがちのこういう発想がそうならず、一枚ごとにみな新しく、面白く、生きている。グロテスクの中にいつも彼独特の静かな笑いがある。そして、ここへ来て、むかしの彼のあのデッサンが物を言っているのに私は気が付く。危な気がない。

彼の才能、真に恐るべし。

■ Opening
9月25日(土)4:00pm~ 「田上允克を囲んで」