田上允克 展 – 2004 –

Masakatsu Tagami Exhibition

2004年10月 2日(土) - 10月31日(日)

■ DMテキスト
尽きることなく,溢れ出るように生まれた田上允克の作品たちに触れる時、言葉という存在さえ無力に思えてくる。
私たちは、その圧倒されんばかりの迫力に、ただ打ちのめされるだけでいいのかもしれない…..。

■ 田上允克プロフィール
1944 山口県生まれ
1967 山口大学卒業
1973 東京に出て水彩画を描き始める
1974 油絵、銅版画を始める
1978 銅版画個展(東京シロタ画廊)
1981 油絵個展(東京シロタ画廊)
1982横浜に移住1984現代画廊にて版画展(洲之内徹氏のテキストあり)
1986版画をやめる ニュー墨絵を始める
1990神奈川県秦野に移住 紙にミックスメディアで書き始めて現在にいたる
2000京都に移住2004東京日仏学院で個展
2006山口県に移住失われた太古の薫り、土と光の狂熱的な叫びを孕んだフォルムと色彩、呼吸するがごとく、
よどみなく描かれる大地と人の交響。そこには、確かに、解き放たれた澄明な魂の跳梁がある。

■ レビュー
画廊から(州之内徹)

ワシオさんの書いているとおり、太蛾亜美はタガアミ、すなわち田上である。私がつきあいを始めた頃は、彼が田上君であった。それが突然太蛾亜美になったとき私はあっけにとられたが、彼はただ静かに笑っているだけであった。何事につけても彼は説明ということをしないのだ。自分の仕事についてもそうである。その点もいまの若い人としては変わっている。

つきあいは、もう十年くらいにはなるだろう。いまでも若いのだから、考えてみれば、その頃はうんと若かったわけだが、彼は裸婦のデッサンに夢中になっていた。画用紙は高いからといって、ザラ紙を買って使っていたが、彼の描く数量からいって、それも当然と思われた。画廊が休みでしまっていて、翌日、私が行くと、ドアの前に、縄で縛った何百枚ものデッサンが置いてあったりした。

うまいデッサンで、私はいつも感心したが、感心しながら、私は一種の危惧を感じた。彼はいつも茶色のコンテを使ってザラ紙に描くのだが、コンテにも紙にもなれ過ぎて、仕事がすべってしまうのだ。よどみがなさ過ぎる。仕事が深くなるための引っかかりがない。

かといって、どうすればいいのか、私にも分からないのだったが、彼がエッチングをやり始めたとき、あ、これだなと思った。手間のかかるエッチングの工程がすべり止めになったのかもしれなかった。イメージが画面に食いこんできた。

それにしても、彼のイメージの、この豊富さはどうだろう。ヴァラエティの豊富さだけを言うのではない。内発的なものの豊かさを私は言っているのだ。ガツガツしない。悠々たるものである。だから、得てして類型的になりがちのこういう発想がそうならず、一枚ごとにみな新しく、面白く、生きている。グロテスクの中にいつも彼独特の静かな笑いがある。そして、ここへ来て、むかしの彼のあのデッサンが物を言っているのに私は気が付く。危な気がない。

彼の才能、真に恐るべし。
表現の細胞分裂
表現する時に必要なもの、それは表現したい気持であり、その気持を生む根底となる核といったものでしょう。
生きる過程で心の中に核を持った田上允克は、モラトリアムな期間をすぎた後も、それを捨てることなく精神の放浪を続けました。
その路上、30歳の標識を過ぎた時、核は絵画という表現手段と出会い、以後堰を切ったように細胞分裂を始めます。
その数は今では数万に及び、なお増殖を続けることでしょう。
そんな細胞の最新の数々は表現する喜びにあふれています。
そして、表現することに、何か行動を起こすことに躊躇している人の背中を、優しく押してくれることと思います。

■ Opening
10月2日(土)pm5:00~ 「田上允克を囲んで」



「2002 no11213」
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「2004 no12061」
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「2000 no08111」
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「2003 no01221」
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