Ryosuke Yasumoto Exhibition
1991年9月21日(土) - 9月29日(日)
■ DMテキスト
-便り-
冷んやりとした空気、色づきはじめた街路樹に、深まりゆく秋を 感じる、今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか?
91.9.美術館、大濠公園に近い、赤坂けやき通りに、GALLERY香月を open致しました。
めまぐるしく移ろう時の中で、人は常に暖かい語らいや、深い休息を 求めてやみません。そんな仲間達や作品が集える空間を 造ってゆきたいと思っております。
どうぞ、お気軽にお立ち寄り下さいますようご案内申し上げます。
■ 安元亮祐プロフィール
1954年、兵庫県 姫路市生まれ。
1972年に東京教育大(現、筑波大)付属聾(ろう)学校美術 専攻科入学
幼い頃、高熱が原因で聴覚を失う。
小学校の頃から絵に熱中、画家になろうと決意する。
学生時代から独特の色彩感覚など日本人離れした感性が際立っており、頭角を現わす。
1988年(34歳)には安田火災美術財団奨励賞受賞。1989年セントラル美術館油絵大賞展・佳作賞受賞。具象絵画や彫刻の新人登竜門といわれる第27回昭和会展(日動画廊主催)では昭和会賞を受賞し一躍注目を集める。
特徴的な画風にはマリオネットのピエロ,フルートやトランペットを奏でるジプシーたちが月明かりの下でいつも踊っている。鉛色したブルーグレイの空、人魚の棲む浜辺、枯れかけた花、降り注ぐビーズの雨は見知らぬ街を濡らし、記憶の断片を紡ぐ。窓からこちらの様子を伺う見知らぬ月の住人、刻印された街。そんな幻想的な世界は多くの人々を惹きつけ、魅了してきた。
■ レビュー
魂の画家安元亮祐
「”絵”とは謎解きゲームの答えのようなものかもしれない」そんな言葉がいつか読んだ本の中に逢った。目の前に答えが出されていて、そこから出発し、次々とイメージをふくらませる旅に似ている。自分の中で美しいとか、素敵だとか、よしとする基準は、それまでの過去の経験で判断するわけなのだから。その”絵”の中に匂いや音や風、温度を感じて、その思いがいつのまにか深く心の中に刻まれてしまうのではないだろうか?
3年前、9年間の画廊の仕事をやめて独立を決心し上京した私は、あらゆる作家の作品が並ぶギャラリーを数えきれないほど訪ね歩いた。 東京駅近くで、どしゃぶりの雨にあい、雨宿りのつもりで飛び込んだのが、S画廊だった。濡れた髪や服をハンカチで押さえながら中に入ると、窓辺にあった小さな木彫りの人形が目にとまった。 今思うと、回りの壁に掛けてあった作品は一枚も思い出せない。ただ20センチ程の小さな人形がジィットこちらを見つめていた、それが無国籍な風景やピエロを描く魂の画家、安元亮祐との出逢いだった。「触ってもいいんですか?」とたずねるのとほとんど同時に、私は人形を手に取っていた。目も、口も、鼻も、耳もないその人形はサーカスのピエロの形をしていた。 指の先から伝わる素朴な木のぬくもりと、しんとした表情、なんとも言えない愛しさに、私は一目で魅せられてしまった。そして、この人形を作った作家に逢いたくてたまらなくなった。
千葉県、松戸市にアトリエを持っている絵描きだという。私はそのまま夢中で雨の中を松戸へと向かった。困ったことに、アトリエの住所は教えてもらったが、連絡のすべがなかった。彼は幼い時に聴覚を失い、音のない世界に住んでいたから。
駅に着いて、閉まりかけたギャラリーに飛び込んで、道を尋ねようとした私は、また2度目の偶然の出逢いに、今度は言葉が出なかった。扉を開けると、100号程もある大きなサーカスの絵が掛けてあった。力強い黒とブルーグレイの陰影を帯びた色彩、幾千年もの時を封じ込めたような絵肌(マチエ-ル)。祈りに満ちた静寂と冴えわたった空気。
さっきまで、私の中にいたピエロはキャンバスの中にいた。無国籍な風景の中で黒い太陽は沈むことを忘れてしまい、蒼い月明かりの下でジプシ-達は、トランペットやフルートを奏でている。ずうーっと、遠い記憶が蘇る。子供の頃、一人になるとそっと開けた古いオルゴールの調べが聞こえてくるようだった。心の中の一番深い所の弦をはじかれているような、そんな心地よい痛み。 作品の前で、私はまるで夕暮れ時に道を失ってしまった犬のように、いつまでもそこに立ちすくんでいた。
たぶん誰にとってもそうであるように、忘れられない出逢いがあると思う。人や言葉、一枚の絵。そこには、本人も気付かなかった自分自身の姿が写し込まれているのかもしれない…。 1991年9月、赤坂けやき通りに、大きなテーブルのあるカフェバーを利用したサロン風のギャラリー『画廊香月』をオープンさせた。オープニング作家として駆けつけてくれた。
<香月人美>
■ 同時開催
DADAビル 10.2(水)~10.14(月)