田上允克 展 – KAO –

Masakatsu Tagami Exhibition

1998年9月 5日(土) - 9月27日(日)

■ DMテキスト
顔・その奇妙な果実たち

■ 田上允克プロフィール
1944 山口県生まれ
1967 山口大学卒業
1973 東京に出て水彩画を描き始める
1974 油絵、銅版画を始める
1978 銅版画個展(東京シロタ画廊)
1981 油絵個展(東京シロタ画廊)
1982横浜に移住1984現代画廊にて版画展(洲之内徹氏のテキストあり)
1986版画をやめる ニュー墨絵を始める
1990神奈川県秦野に移住 紙にミックスメディアで書き始めて現在にいたる
2000京都に移住2004東京日仏学院で個展
2006山口県に移住

■ レビュー
饒舌と寡黙のイロニー(ワシオ・トシヒコ)

名前というのは、自分にとって大義があっても、第三者には識別するただの記号にすぎない。どんな突飛な画号や変名にも動揺しないが、太蛾亜美(だがあみ)さんだけは例外だ。最初から引っ掛かったので、画廊の佐藤さんに訊いたところ、本名は「田上充克」だという。なんと、苗字の音をそのまま別の漢字に置き換え、フルネームにしてしまったわけだ。田上充克を「太蛾亜美」にメタモらせたこの戯画精神こそ、密室の中で、銅版上に異様な幻想的イロニー空間を腐刻させる弾機になっているのではないだろうか。

改めて記すまでもないが、この地球は人間だけのものではない。鯉のもの、ナマズのもの、狐のもの、竹の子のものであり、その他ありとあらゆる生きとし生けるもののためにある。鯉やナマズや狐や竹の子側に立てば、人間たちだって同じ生きものの一種にすぎないのだ。太蛾さんの深奥には、いつもこうした思いが脈打っているような気がする。

例えば、古くから「鰯の頭も信心から」といった諺がある。太蛾さんにはこれを、鈴の尾をつけた鰯のような魚の頭が載った皿の前に、一匹の巨大な鯉を人間やけものたちにむりやり引きずり出させ、神妙に拝ませる鳥蛾図として作品化する。また、「桃太郎」や「浦島太郎」などのお伽噺から部分的に着想したと思われるイロニーも多い。ポッシュやブリューゲルのように、空間をそうしたさまざまなことばで饒舌に充たす戯画もいいが、線刻やフォルムが何ともくすぐったくおかしみがあり、それでいてほのかなポエジーの気配を感じさせる比較的新しいのもなかなかいい。

200枚から300枚ぐらいのデッサンを一度にドサッと画廊に預けるほどの努力家だ。磨かれたテクニックにそう狂いがないし何でもできる。狂うとしたらむしろ、日常のぬるま湯にとっぷり漬かり、驚きを忘れてしまった見る側の平衡感覚の方かもしれない。(詩人・美術評論家)

■ Opening
9月6日(土)5:00pm~ 「田上允克を囲んで」