Valentino Moradei 展 – 漂流する断片 –

Valentino Moradei Exhibition

2001年5月19日(土) - 6月10日(日)

■ DMテキスト
確かに僕は,大理石や石などの伝統的な材料を使う。
でも、それらには,今日で不可解な生成の時代があったんだ。
一つの着想を,大理石に翻訳するのに必要な時間だけ何年も待ち続けなければいけない。
でも、その代わりに,僕は自分の霊感に従う。形態をセメントやブロンズの中に改変し、それを僕とともに生かす。
<V.モラデイ>

■ レビュー
いつのまにか、他人との関わりに忙殺されてしまって、自分自身との対話が薄れてしまっていることに気付くことがある。そんな時、日常のヨロイを脱ぎ捨てた、むき出しの自分とのコミュニケーションを計るため外国へと旅立つ。異国での新鮮な感動、その街の空気とかエスプリが乾いた吸収紙のように、心にしみわたり、栄養になっていく。自分の中で、美しいとか、素敵だとか、良しとする基準は過去の記憶や体験からしか判断できないように、旅も外国も自分の器量以上のものは与えてはくれない。
 
  独立し、画廊という空間を、人々に提供して二年の歳月が流れた。偶然というより、必然のように出逢ったイタリア人の彫刻家「ヴァレンチノ・モラデイ」表面の美しさよりも、内包された生命の息吹きを感じさせるブロンズのトルソは、人間の痛みや、哀感さえも封じ込めている、彼にとって美しさが問題なのではなく、興味があるのは人間の内面から沸き上がってくる躍動感、強さだけなのだ。
 
  作品から啓示されるのは “人間の認識”。マスメディアに支配された社会
という枠の中で破壊されていく人間性をあらゆる角度から再認識させられてしまう。親子4代にわたり受け継がれてきた石のアトリエは、まるで洞窟のようだ。冷やりと乾いた空気が、何百年もの時を封じ込めていることを気付かせてくれる。

彼の作品達は、”人間性”を主体として、未来へと受け継がれていく。異国の創造者からの強烈なるメッセージ。子供の頃から近くにあるウフィッツィ美術館で”ボッティチェリ”と対話し、遠く何百年もの時間を漂ったように、未来の自分の作品達と、いつしか対話してくれることを夢見る。
 
  静寂という空気が流れ、沈黙の時が訪れる。私はトルソと対話し始める。時がゆっくりと遅れだし、そして止まり、忘却の彼方へと旅しはじめる。モラデイが歩んできた人生を、私自身の人生の中に共有することができる。芸術とは人間の可能性をもっともっと大きくしてくれるものだと知らされる。そして、アーティストのメッセージが、強ければ強いほど、受け取る側は繰り返し忘却の時を漂うことができるわけだ。
 
  芸術と流行が混然としてしまっている現在、今こそ、このメッセージを見きわめることが重要だと思う。商業的メッセージを発する流行は、ファッションのように移ろいゆくもの。芸術は忘却の時間を提供し、成長した自分を、成長した分だけ包み込み、見つめさせてくれる。本物とは、常に自分が帰ってゆけるもの。 画廊の窓辺にある一対のトルソが訪れる人々に問いかける、「芸術とは信じることだ」と。

■ Opening
5月19日(土)pm4:00~

■ 後援;イタリア文化会館